団塊の子か、そうでないか、そのギャップ

今日とある人と「団塊世代の子供か、そうでないかで価値観にギャップがある。」という話になった。

団塊世代の子供の世代と話しているとイライラする、なぜなら、団塊世代の子供世代の人は努力しない、でも文句は多い、とでそうでない人から見るといろんな事で話がかみあわない、との事。

ま、全部が全部そういう人ではもちろんないと思うし、私も自分の世界で生きている人なので(ちなみに私は団塊世代の子供の世代)、世代の認識について疎い方なのでよくわかんないから、こういう事きつく言うのはどうかとか思うけど。

でも、漠然と思うんだよな。

私らの世代ってたぶん、マトモに大人の言う事聞いてたらホンマおもんないんとちゃうかなって。

よくテレビで言われてる事とか、先生や大人とか友達とかから言われた事はやっぱり自分の体のどこかに残ってる。

「みんなと違ったら嫌われてつまはじき、そうなったらクラスでは終わり」という圧力があって。
ゆとり教育なんてまだ言われてない頃。
私の周りでも個性=変わった子、そんな子とつきあうのやめときって言われてた。
バブル期は高校、でも大学受験の頃にはバブルははじける。
大学受験でも受ける人数多すぎて、よっぽど優秀じゃないと行きたい大学行けない。
で、就職活動する頃には就職難が激しくて。面接なんて受けられない。
で、やっとこさ就職して5年くらいで一息ついた頃に、勝ち組、負け組なんて言われて、契約社員派遣社員、とか総合職とかなんか訳がわからん雇用体系が出てきて、自腹切って勉強したりして毎日すっごくがんばらんと正社員でいられへんとか、今まで普通にできてた事が、すごく努力しないと得られない。いつクビになってもおかしくない。

私が感じてきたのでもこんだけあるから、社会にバリバリ出て働いてる人とかもっといろんな事感じてると思う。

でも、私は「あ〜お金ないなぁ。もちょっと私、何とかなれへんかなぁ。」と思いながら、日々勉強、明日はあると、いろいろしんどいけど何とか楽しくやっている。

小さい時から、工作がまともに仕上げられなかったり、クラスメートから、先生からしょっちゅう「ちゃんとしろ!」と怒られてきた私は「なんか私は変わってる、おかしい。頭がわるいから勉強せんとあかん。」という自覚だけはあったので、
失敗はいっぱいしても自分で選ぶように、常に勉強しようと心がけてきたので、
結構しんどい思いをしながらでも、なんとかのほほんと日々楽しく生きている。

結局何が言いたいかいうたら、今おかれている状況を嘆くよりも、今おかれてる状況から何とかしようと、ちょっとでも楽しくしようと、思うだけでも違うんとちゃうかな?

ほんまは、私も現実はすごく泣きたい位しんどい。
今やってる仕事も子供相手なのでコミュニケーション難しいし、でステップアップしようと思うと学校行かなあかんとか、勉強が必要とかもある。
趣味も自分のためと投資でギターのレッスン行ってるけど、楽しいけど、楽じゃない。課題にいつも悲鳴あげてる。バンドも複数もつと体がきつい。きつい仕事の後に行かないといけない時とか本当嫌だ。
お金との折り合いもいつも大変だ。だから遊びに行くお金はほんまない。

だけど音楽に関しては「自分が表現したいものは何かを常に考える。身体から出てきた『うた』を演奏する。」という強いポリシーを持っているのでそれは必ず守ると自分に課している。

生き方は、黙っていて何もしないでは、誰も教えてはくれない。
う〜ん、参った、ほんまどないしよ、と日々右往左往して何かやってはじめて、それが良いかあかんかがわかる。

その右往左往の積み重ねで自分の個性が作られるんだなぁ、とそう思う。

生きるってほんま大変やわ。なぜ生きるかなんか考えてる暇ないわ。

で、なんの話やったかいな?

団塊の世代と、そうでない世代のギャップやっけ?

ようわからんわ。