ピアニストの宿命

盆にある吹奏楽コンクールのトラ(賛助出演)を頼まれ今曲を覚えている。

最初はピアノ譜だけもらったのだけど、それだけでは他が何をやっているかわからず、
その曲は他の楽器との掛け合いがメインになるので、結局コンダクタースコア(全パート譜)をもらい、音源とつき合わせて曲を見ている。

その曲ではピアノは他のパートの足りない所を補う役割のようで、ピアノ単独では出てこない。

自分が弾く音と同じ音のパートにピンクの蛍光ペンでしるしをつけ、
この音を聞いてから入る、目印みたいな音のパートに緑の蛍光ペンでしるしをつける。

ピアノはご存知のとおりかなり広い音域を持っている。

必然的に、なっている音すべてを捕らえるような、なんというか、ものすごい広い音の世界を背負って立つというような、そういう宿命をピアノに感じる。

ピアノは、特に生ピアノは体力がちゃんとないと弾けない。
それはすべての音を背負う音の重みを感じるというのもあるからかもしれない。

からしんどいんか、私。(私はもともとはピアニストである。)

これからピアノを習う人にエレピと生とどっちをすすめるかと聞かれると、やはり私は生ピアノをすすめる。

人工的にサンプリングされた音と、ピアノ本来の構造から生み出された音とでは表面的には似ているかもしれないが、音としてはたぶんまったく別なものだ。

やはり生ピアノで弾いてほしいなと思う。

そんな事を今コンダクタースコアを見ながら思った。